ジーナの嘘

中年の農婦が鬼気迫る様子でジーナにまくし立てるものだから、伯爵は気圧されて止めに入ることも出来ず唖然としていた。その間に、女性はジーナの腕を引っ張って何処かへ連れて行こうとしたので、伯爵は目を覚まし、彼女の前に出て道を塞いだ。ひょろ長く背の高い男に惑いもせず、女性はそのまま伯爵を避けて勇ましく進もうとするので、ついに伯爵はおどけながら声を上げて制止した。



「お待ち下さい、御婦人。彼…は私の侍従です。その、連れて行かれては困るので……彼に用があるなら後日城にお招きしますが…。」



農婦を城に招くと発言する伯爵を周囲の農民は怪訝な目で見ていたが、ジーナの手を離さない農婦は伯爵を殆ど睨みつけて言った。



「伯爵様、私はこの子の実の母親ですよ。貴方がいくら立派な方でもね、子供は親と住むべきでしょう。」



「えっ!?……い、いや、しかしジーナ、君のご両親は……。」



ジーナは実の両親が亡くなったことを示唆していなかったか、ぎょろぎょろと眼球を彷徨わせる伯爵にジーナは、目を伏せながら言った。



「あれは嘘です。この人は確かに、私の母です。」



嘘、という単語に農婦はぴくりと眉をあげる。正確に言えばジーナが嘘をついたのは下の弟妹が親戚の家にいるということで、両親については伯爵が勝手に死んだと思っただけで、ジーナはその間違いを正さなかっただけなのだが。



「ど、どういうことなんだ?」



伯爵は伯爵としての平民の前での誇りも忘れ、間抜けな顔で困惑した。伯爵には事態が全く飲み込めなかった。男爵から伯爵を救ったジーナを、伯爵は友人だと思っていた。またもや嘘をつかれたとは、思いもしていなかった。



「……私は、明日も分からぬ生活を送る農民の娘です。そんな人間が、伯爵様の城に召し抱えられる機会を得たのです。」



珍しく視線を彷徨わせるのはジーナで、彼女を真っ直ぐに見つめるのは伯爵だった。ジーナの声はいつものように通っていて、伯爵の鼓膜をはっきり震わせる。しかし、伯爵の脳はその意味を理解できなかった。



「…しかし、何故家族がいないなどと…」



「……いると言えば、家に帰されると考えたからです。…私は、家族を見捨てたのです。」



伯爵は、ジーナを見つめる。伯爵には彼女が豊かな暮らしのために家族を見捨てる人間だとは思えない。しかし、伯爵はジーナの今までの人生など全く知らず、彼女が語った過去は嘘だというのだ。それに、寂れたとはいえ城で暮らし、鍬も振るわぬ伯爵には分からない、家族と離れたくなるほどの苦労がジーナにはあったのかもしれない。



「本当に、このご婦人は君のお母様なのだね。」



伯爵は、ジーナを責めることもなく、ただ確認する。



「…はい。これは、嘘ではありません。」



何らかの事情で無理矢理言わされてるのではないかとも伯爵は危惧して訪ねたが、今度は真っ直ぐに伯爵の目を見て真実だというジーナにその様子はない、と彼は判断した。伯爵は隣の農婦に視線を移す。彼女はジーナと同じ黄味がかった茶髪と鳶色の目をしていた。プラトークで隠れた顔も、よく見れば整っていて、通った鼻筋がジーナに似ている。疑う伯爵に農婦は鼻を鳴らし、この地方の訛りが色濃い発音で話し始めた。



「伯爵様、いつ飽きられるか分からないのに貴方のそばで働かせるより、この娘にはやらせる仕事があるんですよ。だいたい、農家の娘が文字や数字が書けて手が動かせなきゃしょうがない。この娘の下の子もいるんでね。この娘にはうちで働いてもらわなきゃ困るんです。」



ジーナの母の鋭い眼光に貫かれた伯爵はやや怯んだ。農婦の伯爵への態度としては不躾だが、周りの兵士も伯爵が先程から静止の合図を手で示しているため、見守るだけだ。それに、農婦の話が真実であれば伯爵は人さらいである。村人の疑念がこもった視線は伯爵に向けられていた。ジーナも、伯爵の分が悪いことを察していた。



「ジーナ、君は戻りたいのかい?」



伯爵は、ジーナの母の迫力に気圧されながらも、優しい声でジーナ本人の意志を問う。



「私は…戻らねばなりません。」



ジーナは、感情が読み取れない声でそう返した。僅かに否定の声を期待していた伯爵は消沈したが、よろめきそうな足をしっかり地につけ、一瞬伏せた顔を上げる。ジーナが拒絶しない限り、伯爵が彼女を家族から引き離すことはできなかった。それは村人たちの手前という体面もあったし、義理の母に弄ばれた伯爵は、亡き実母には夢を見ていて、つまり血の繋がりは大切にされるべきものだと認識していた。



「そうか…ジーナ、家族の下にいるのがきっと君の一番だ。寂しくなるが…君に暇を出そう。……たまに、城に働きにおいで。」



伯爵は名残り惜しげに、そう言った。彼はジーナの嘘を咎めることもなかった。その時ジーナは、あっさり彼女を手離した伯爵との間に急に透明な壁ができたように、彼を遠くに感じた。ジーナの目に今ほど彼が伯爵という、逆らえない権威として映ったことはない。ジーナは、精神年齢が彼女とさほど変わらなく時に思える伯爵も、十以上年上の大人であることを思い出した。そして彼は、両親や村人が言っているように、ジーナたち農民を生かしも殺しもできる領主なのだ。ジーナと村人にとって、伯爵の言葉は判決文に等しかった。



ジーナに大きな目で静かに見つめられた伯爵は、そんな彼女の心には気づかず、自らの言葉の重さにも無自覚だった。

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