麦畑日の出

伯爵の子守歌

「いたた……え、…なんだって?」



思わず伯爵は聞き返し、少年を止めようとした執事も、黙って彼を見つめる。



「父さんと母さんが、ジーナを商人に売っちゃったんだ!!そいつは今朝来て、俺は追いかけようと思ったんだけど馬車で追いつけなくて…早くしないと外国に連れて行かれちゃうよ…!」



涙をぼろぼろと流しながら焦燥から貴族に掴みかかって大声をあげる少年を、伯爵も執事も咎めなかった。それより、彼の言うことが伯爵に衝撃を与えていた。親が子を売る、貴族の伯爵には全く理解できないことだ。彼は何か勘違いしているのではないか、伯爵は疑問をそのまま声に出す。



「そんな、馬鹿な…、なんだってそんなことを…、」



「いいから急いで!!!」



余りの少年の迫力に、嘘だとも言えず、伯爵たちは小さな少年に流されるまま馬に跨って、商人が向かったという方向へ走らせた。背中の後ろにジーナの弟を乗せた伯爵は、馬上で彼に再度尋ねる。



「本当に、君のご両親がお姉さんを売ったのかい?」



「うん、代わりに馬や鶏をもらってるのを見たんだ。最近、家畜がみんな死んじゃったから。」



伯爵は息を詰まらせる。ジーナの家がそれ程窮状にあったとは、知らなかった。



「でも、実の娘を家畜のために売るなんて…」



伯爵はそれでも、親が子を売る正当な理由にはならないと考えた。



「俺も聞いたんだ、ジーナを人買いに売るなんて信じられない、なんでって、そしたら…。」



「…そしたら?」



小さな少年は、少し悩むように黙り込んでから、伯爵の上着の裾を縋るように掴んで、また口を開いた。



「父さんと母さんは、ジーナが昔、イーゴリっていう兄さんを殺したからだっていうんだ。働き者だったイーゴリをジーナが殺したせいでうちはますます貧乏になったんだから、ジーナが金を入れるべきだって……」



伯爵は目を丸くした。俄かには信じがたい話だ、ジーナが人を殺したなど。後ろの少年が、怯えて体を震わせているのが伯爵にも伝わる。



「俺、やっぱり信じられないよ…。イーゴリは俺が生まれる前に死んだ兄さんで、その時のジーナは今の俺くらいなんだ。そんな子供が、でかい男を殺せるわけないし…、あの頭がいいジーナが、働き者の兄さんを殺すわけないと思うんだ。でも、父さんと母さんが嘘を言ってジーナを売るなんて思いたくなくて……。」



流石ジーナの弟である彼は、冷静な判断によって両親のことを疑っていた。伯爵もジーナが幼い時に人を殺したなど信じられない。彼女は家族のことについて伯爵に嘘をついたが、男爵から身を呈して伯爵を守った彼女が、兄を殺すはずがないと伯爵は信じている。



「きっと何か誤解があるんだよ。…城の兵も使って探すから、絶対ジーナは見つかるさ。そこでジーナに直接聞けばいい。」



「そうだよね、ジーナは、ずっと俺たちを守ってくれた姉さんだもの。」



小さな少年は、姉を求めるように、伯爵にしがみつく。伯爵は手綱を握っていない方の手で、不器用に彼の頭を撫で、落ち着かせる。



「城の兵も使って探しているから、すぐ会えるよ。朝から一人で探し回って疲れただろう、少し眠るといい。その、…君が風邪でも引いてしまったら、ジーナが心配するからね。」



「うん…。」



子供にあまり接したことのない伯爵は、ジーナの弟への接し方に迷い、昔自分が不安でたまらなかった時のことを思い出していた。不安で眠れない時はいつも、メイドが子守唄を歌ってくれて、いつの間にか寝ていたのだ。成人してからは気恥ずかしくてメイドに頼んだことはないが、小姓たちに歌ってもらったことはあった。メイドに歌ってもらうより恥ずべきことだが、伯爵はジーナにも子守唄を歌ってもらったことがあった。彼が眠れなかったある夜、気づけばジーナが隣で歌ってくれていたのだ。透き通った、落ち着いた彼女の歌声は眠りを誘い、その日はよく眠れた。あまり歌に自信はないが、自分も子守唄で彼の不安を取り除けるだろうかと、伯爵は辿々しく、メイドの子守唄と同じ旋律だった、ジーナの歌を思い出しながら歌い始める。



「夢は窓辺を過ぎて…」



「伯爵様もこの歌、知ってるんだね…。」



「ジーナが前に歌ってくれたから…。う、うるさいかな?」



伯爵は恥ずかしげに尋ねたが、少年は頭を振って、目を閉じる。続けろ、という意味だと伯爵はとって、歌い続けた。姉と違って、低くて少し掠れた男性の声だったが、泣き疲れた少年は、すぐ眠りに落ちた。