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「そして、伯爵様のお城にたどり着いたのです……。男爵に見つかることを恐れ、衣服の切れ端すら証拠を持ってくることはできませんでしたが…神に誓って、全て真実です!どうか、信じてください……!今、男爵の屋敷に戻れば殺されます!奉公でも何でもしますから、匿ってください…!そしてどうか、慈悲深き伯爵様、あの恐ろしい悪魔……男爵の罪を告発し、彼に殺されたものたちの恨みを、晴らしてください…!!」

 

涙を流しながら訴えるレーシャに、血まみれのドレスを見つけたくだりから、己の想像する惨劇に耐えきれず、放心していた伯爵の意識が戻る。

 

「わ、わかった、貴女を男爵から保護すると誓おう。この城には空き部屋も多いし、行く先が見つかるまでここに居たまえ……ええと、その、女中は足りているし、食客として滞在するといい。…それで……男爵のことは……私も司法のことなどは分からないし、私兵も殆ど居ないので………申し訳ないが、少し、待ってくれないだろうか…」

 

レーシャの迫力に押され、伯爵は彼女を男爵から守ることを了承してしまった。元より、気弱な伯爵にレーシャを放り出すことなどできるはずもなかったが。ただ、若い女性の女中が城にいたら、自室から一歩も出られなさそうなので、彼女には伯爵の部屋から離れたところに滞在してもらおうと伯爵は思う。自分の城に駆け込んできた彼女を守る責務を果たすことから伯爵は逃げる気は無かったが、レーシャの話を聞いてもまだ、伯爵は男爵を裁く決心ができなかった。伯爵は自らの心の弱さを呪った。

 

(明日には、エリクも男爵の犠牲者になっているかもしれないというのに!私はまだ、彼女の話が嘘や勘違いであることを願っている!)

 

「まだ深夜ですし、伯爵様は体調が最近よろしくないものですから。また追って男爵のことはお話なさっては?」

 

ジーナは顔面蒼白の伯爵に毛布をかけながら、恐怖と焦燥で急り、伯爵に迫るレーシャを宥めた。

 

「そうだったのですか……このような格好で、いきなり訪れた平民の私の、城での滞在を許可していただけただけで、どれほどの温情か……本当に、ありがとうございます。」

 

実際は体でなく心の病だが、伯爵が風邪でも引いていると思ったレーシャは、彼の体調を心配し、その慈悲深さを感じ、尊敬と感謝の念を持って伯爵を見つめ、深々とお辞儀をした。

 

「いや……民を守るのは、貴族として、当然のことだから……」

 

彼の苦手な性別である以前に、守るべき民であり、ジーナよりは年上だが伯爵よりもかなり歳下のレーシャの潤んだ目に見つめられ、伯爵は、男爵を糾弾できない自身の弱さへの後ろめたさに胸が痛くなり、生返事しかできなかった。

 

レーシャがもう一度伯爵に礼を言った後、ジーナは彼女を執事に指示された客室に連れていった。

一部始終を見守っていた執事は、男爵から伯爵をもっと早く遠ざけなかったのは迂闊だったと、溜息をつく。伯爵がこの事態に対応できるわけがないと理解している彼は、伯爵の心臓を心配した。レーシャの言い分が真実なら帝都に報告すべきだが、何分彼女の証言以外証拠がない。伯爵より宮廷と繋がりを持つ男爵を証拠なく訴えるのは難しく思えた。第一、既に捜査が入っても仕方ない状況であったのに、男爵が野放しであること自体、男爵と司法関係者の癒着を示唆している。男爵より高い地位にいても、人脈のない伯爵が及ぼせる力は男爵のそれよりも限定的なのだ。主人の健康を最優先する執事はとりあえず、朧な目をした伯爵を老体に鞭打って、門番とともに寝台まで運んだ。

 

男爵が伯爵の城まで来ることはないと思いつつ、念のため執事は翌朝から屈強な村人から警備役を数人雇った。強面の若者に怯えを隠せていない、背丈だけは彼らと並んで高い主人と、自分の倍近く縦も横もある大男らに指示を出す少女を見比べながら執事はまた溜息をついた。老境に差し掛かり、己亡き後の伯爵を案ずる執事は、ジーナに貴族身分を与え、然るべき教育を帝都で受けさせるために養女にしようという伯爵の提案は全力を持って止めよう、と改めて思った。

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