その後数日、事件の後処理で伯爵の城はいつになく忙しかった。

 

伯爵は胃の痛みに耐えながら、男爵の罪を訴えるため、帝都に向かった。馬車の中で伯爵は男爵に動機を問いただしたが、彼らを愛したかったから、という以外の答えは得られず、後は司法当局に任せることにした。

 

一方、伯爵が帝都にいる間、ジーナは執事から危険な行動について説教され、文字の練習がてらに反省文を書かされたあと、護身術の訓練を受けさせられた。執事をはじめ、伯爵の使用人には軍人やコサック出身で、武術に長けたものが多いことをジーナは知った。伯爵の父が若い時には度々戦争や反乱に駆り出されることもあったという。ジーナは伯爵が戦場で生き残れるとは全く思えなかったので、なるべく領地の平和が続くことを願った。

 

帝都から憔悴しきった伯爵が帰ってきたのは、一週間後のことだった。ジーナが発見した日記や伯爵の爵位、親族たちの協力や権力闘争の助けもあって、男爵の罪は立証できそうだ、と伯爵はジーナに伝えた。ジーナが姿を消した後、意識を取り戻してすぐ、伯爵は伝書鳩で帝都に男爵を糾弾する手紙を送っていた。宮廷や司法機関に伝手を持つ男爵を裁かせるために、父が亡くなってから今まで連絡も取っていない親戚や、父の友人にも協力を頼む手紙も、書かなければならなかった。早くジーナの救出に向かうために、読み書きができる使用人に代筆させたが、手紙を書かせることすら伯爵には苦渋の決断だと知っていた執事は、彼の頼みを聞いて心底驚いていた。

男爵の地位と最近の情勢を考えて、死刑ではなく終身刑が一番重い罰としても与えられるだろう、との見解も伯爵は添えた。何十人と平民や貴族を殺した男爵には軽い罰だとジーナは思ったが、彼が死んだところで殺された者たちの魂が救われるとも考えていなかった。ジーナは男爵に改悛も何も期待していなかった。ただ、彼が野放しにされないことに安心し、少し帝国の司法制度と伯爵を見直した。

 

対して、レーシャは男爵への処遇に怒っていたが、伯爵に宥められた。彼女は伯爵に何度も頭を下げてお礼し、落ち着いたらまた贈り物を献上しに来ると言って聞かなかったが、身なりが整った彼女に近づきたがらず、目も合わせられない伯爵は、その必要はないと説得を試みていた。レーシャは今度は負けないで父と戦うと勇まし気な様子で実家に帰り、城は落ち着きを取り戻した。執事が護衛用に雇った村人たちは、給金の高さと待遇の良さに感動した彼らの望みで雇い続けることになったため、幽霊城のようだった城は少し賑やかになり、幽霊たちが宴会を開いていると噂されるようになった。

 

 

 

しばらく気塞ぐ暇もなかった伯爵は、ようやく自室の寝椅子に横になることができた。ジーナはペチカに薪を入れながら、忙しくて言えてなかったことを伯爵に伝える。

 

「来られないものと思っていたので、あのような行動に出てしまいました。お手を煩わせまして、申し訳ございません。」

 

正直、ジーナにとっては男爵の豹変よりも伯爵が来たことが意外だった。

 

「もうあんな危険な真似はよしてくれ……でも、エリクを、私を助けてくれてありがとう。」

 

伯爵は、オリエントの寝椅子から身を起こし、ジーナに頼み、礼を言った。エリクはあの後、修道院に自ら入り、変わらず男爵を愛していると、彼から伯爵に来た手紙に書いてあった。伯爵はエリクから男爵を奪ったことに罪悪感を抱いたが、少年の身が無事であることを、何より願っていた。

 

「私は貴方に仕える者ですから。」

 

主人の身を守ることは従者として義務だと認識しているジーナは、薪をくべ終えると、伯爵の方を振り返って、そう言った。伯爵は、エリクとジーナの問答の際に垣間見えたジーナの苦労を思い出す。領主や貴族としての義務感から生じる申し訳なさと、イヴァン・スヴェトスラーヴィチ・ズヴェトフスキー個人のジーナへの親愛や慈愛の心から、伯爵は骨ばった少女の体を抱きしめた。

 

「君が暖かい部屋で眠るのに、本当は私に仕える必要なんてないんだ。」

 

「…私は、貴族ではありませんから。伯爵様の小姓として働いているのは、

私の望みです。…それでは、いけませんか。」

 

ジーナはただ、伯爵の庇護の下、この城で暮らすことはできなかった。いつ解けるか分からない魔法を不安に思う気持ちに加え、彼女にも平民としての、ジーナとしての自尊心というものがある。伯爵の優しさにつけこんでのうのうと寒さから逃れ暮らすことは、無為な貴族と変わらない、と彼女は思っていた。

 

「君がそういうのなら……。情けないことこの上ないが、我が城は今や君なしでは回らないのも事実だからね。君の負担が減るように、私も立派な領主になる様努力するよ。君のように困っている領民を、救えるように。」

 

「それは、皆様が喜ぶでしょうね。」

 

「今までも、そう、思ってはいたんだがね…自分が嫌になるよ。……ところで、君の、弟さんと妹さんは……。」

 

「……弟と妹たちは、親戚の家に引き取られたので、…行方は分かりません。私は、一人、逃げただけです。」

 

滅多に感情を映さないジーナの瞳に影が差したのを見て、伯爵は俯いた。

 

「そうか……。国内にいるのなら、見つかるかもしれない。探してみるよ。」

 

全く根拠のない伯爵の言葉に、ジーナは無言で頷いたが、晴れない顔をしていた。伯爵はそれを、自分への信頼のなさのためだと受け取った。

 

「あの…言いつけられている別の仕事に、向かわなければならないのですが…。」

 

彼女の背から腕を離さない伯爵に、ジーナは暗に離してほしいことを伝えた。

 

「あ!そうか、すまない……。……!!……あれ、私は、いつの間に君を……!」

 

「男爵から守ってくださった際も、抱きしめられていましたが。」

 

「!!!!私は、なんということを……!ごめん、あの時も、君が心配で…。」

 

伯爵は、自分より一回り以上年下の少女を抱きしめていたことを自覚し、ばっと手を離して、冷や汗をだらだらと流し始めた。エリクと違って、ジーナは彼に何の感情もないと明言しており、愛人でもないのだ。女性のジーナに触れられたことは、彼女が中性的な見た目で、男装しているからだと、この時伯爵は気にしていなかったが、エリクや愛人だった少年たちのことも抱きしめたことなどないことは忘れていた。

 

「大丈夫です。分かっていますから。では、失礼します。」

 

解放されたジーナはそう言い残して部屋を退出し、伯爵は一人、彼女が「何を」分かっていると考えたのか、彼が少年や少女が好きな人間だと、あながち否定はできないが、誤解されたのではないかと悩んだ。

 

 

 

 

その夜、ジーナは寝台の上で、勝手な行動をした小姓の自分を、伯爵が命を賭けて救いに来たこと、あまつさえ礼を言ったことを考えていた。不可解な伯爵の行動を、以前のジーナなら疑っていたが、伯爵はもう、そういう性格の人なのだと、ジーナも何となく分かってきていた。伯爵に抱きしめられた時、死人のような伯爵が存外暖かかったこと、安心感に似た心地よさを感じたことを不思議に思いながら、ジーナは勝ち取った温もりの中で眠りについた。

 

一方、伯爵は、ジーナを拒絶反応なく抱きしめられたこと、男爵に乱暴されそうになった少女を、父でも兄でも恋人でもない自分が抱きしめてしまったことをまた思い出し、自分を責めた。そして、ジーナに嫌われてしまわないか、またベッドの中で悶々としながら眠れない夜を過ごした。