それから伯爵はすっかり憔悴し、ベッドの天蓋の下で男爵を告発する、しない、と無駄な堂々巡りの思考を重ねていたが、いつものように一週間以上も寝込むことは許されなかった。

 

レーシャが来た翌々日、いつも早朝から働いているジーナが姿を消したと執事が慌てて伯爵の部屋にきたのだ。屋敷中が少女を探した結果、馬小屋の馬が一頭消えたことが判明した。流石の伯爵も彼女が一人でどこへ行ったのかわかった。馬でなければいけない場所に、ジーナは消えた。彼女は単身、男爵の城に乗り込んだのだ。エリクに続き、ジーナまでも、伯爵の前から姿を消してしまった。伯爵の大きな身体が崩れ落ち、老いた侍女が悲鳴をあげる。主人と有能な部下の危機に、老齢の執事は頭を抱えた。

 

 

 

「やあ、よくきてくれた。」

 

(妻を亡くし、愛人を亡くし……いや、殺しておいて、花嫁に逃げられた男とは思えない陽気さだ)

 

ジーナは門まで出迎えにきた男爵を見て思う。黒々とした大きな瞳は、相変わらずシャンデリアにも劣らない煌めきを空虚に乱反射している。ジーナはせわしなく彷徨う伯爵の瞳を見つめるより、男爵の瞳を見続けることに困難を感じていた。妖しく微笑む男爵を、ジーナは冷えた鋭い瞳で見つめた。

 

ジーナには伯爵に報告していないことがある。舞踏会の日、知らぬ間に男爵から小さなメッセージカードを渡されており、そこに館に遊びに来るよう書いてあったことだ。伯爵に知られたら、面倒だと思ったジーナは黙っていたのだ。

 

「伯爵様からお暇を頂きましたので。」

 

ジーナは慇懃に礼をし、すらすらと嘘をついた。

 

「そうかい、エリクも歳の近い友人ができると嬉しいだろう。さあ、上の部屋でカードゲームでもしようじゃないか。」

 

男爵は優しく、小さな子供に微笑みかけるように言った。ジーナは無表情で是非に、と返す。

 

 

ジーナが男爵に連れられて豪奢でグロテスクな目に痛い装飾で彩られた部屋に入ると、エリクが既に丸いテーブルを囲む椅子の一つに腰掛けていた。

 

「あれ、君はイヴァン様の新しい小姓かい?舞踏会でも会ったよね。僕はエリク、よろしく。」

 

「…ジーナです。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。」

 

「二人とも歳も近いし仲良くするといい。今度はイヴァンと四人で遊ぶのもいいね。」

 

舞踏会でも殆ど会話していない、初対面に近い二人だが、エリクは同い年の少年として、ジーナに気軽に話しかけてきた。男爵が和やかにとりなし、三人はカード遊びをすることになった。カードを捌きながら、ジーナは、エリクも男爵も、自分が少年でなく少女だと気付いているのか疑問に思う。名前で分かると思ったが、あえて明言はしなかった。男爵は両刀のようだし、どちらでもいいことだ、と時折ジーナに視線をよこす男を見てジーナは考えた。ババ抜きではやたらと分かりやすい表情をする男爵だが、ジーナにはその奥の心が見えない。ここに伯爵がいたら百面相で大忙しだろうな、とポーカーフェイスのジーナは悔しがる二人を見ながら思った。

 

(面倒な事になるから言わないで来たが、あの人は大丈夫だろうか。また寝込んでいないといいが)

 

男爵が伯爵と城で話した時からなんとなく、男爵は伯爵のことも手篭めにしたいのだろうかともジーナは感じていた。愛人を寝取り、今の小姓ジーナも誘って伯爵の心を弄ぶ男爵に、殺人の件を除いても、ジーナは伯爵を会わせたくなかった。身分が後ろ盾になってくれるだろうから、ジーナはあまり伯爵の身体の心配はしていなかった。しかし、伯爵の心は既に瀕死状態だ。ジーナはその伯爵の命、そして自分の明日を守るために危険を冒して、男爵を釣る餌となったのだ。

 

ババ抜きはジーナが一番に上がった。

 

「なんてことだ!私はババ抜きで人の表情の変化を見抜くのは得意な方なのに!」

 

「まあまあ。ジーナは今までの相手の中でも一番のやり手ですよ。イヴァン様と違って本当に表情が変わらないね。君とあの伯爵様が睨めっこするのを見たいよ!」

 

男爵は心底悔しがった様子を見せ、エリクが彼を慰め、ついでに伯爵とジーナの対極的な性格を冗談めかして笑う。エリクは間近で見ると、本当に天使を受肉させた美しさを持つ少年だった。しかし美しさに関心があまりないジーナは、伯爵のように心動かされることはなかった。その後、他のカード遊びや盤で遊び、男爵の冒険譚などを聞いていた時、家令が男爵を呼びに来た。

 

「急用がある。古い友人が来たみたいでね。少し遠乗りして来るから、しばらく二人で遊んでいてくれ。」

 

そう言い残し、少し不満げなエリクの頰に口付けてから、男爵は部屋を出て行った。